第25代アメリカ合衆国大統領



ウィリアム・マッキンリー
William McKinley 共和党
就任期間  1897年3月4日〜1901年9月14日

生没 1843年1月29日〜1901年9月14日(58歳)

1901年に暗殺された。
マッキンリーは1843年1月29日オハイオ州ナイルで生まれた。ポーランド・アカデミー公立学校、およびアレゲニー大学に入学。卒業後は教師となったが南北戦争の開戦後1861年6月23日連邦軍のオハイオ志願兵第23連隊において一兵卒として入隊した。そして大尉として除隊し、1865年9月に同連隊で少佐として名誉昇進辞令を受けた。
戦争に続いて、マッキンリーは法律を学び、1867年に弁護士の資格を得た。彼はオハイオ州カントンで弁護士の業務を始めた。彼は1869年から1871年までオハイオ州スターク郡の検察官だった。
1898年にマッキンリーは、数人の上院議員と元副知事アンドリュー・L・ハリスを米国の産業委員会に任命した時、反トラスト運動を始めた。マッキンリーは米西戦争へ国を導き、フィリピンおよびカリブ海のスペインの旧植民地をアメリカの管理下にもたらした。国内の反対の声にもかかわらず、アメリカを国際的な帝国主義政策へ突き進めた。彼は1900年に再選された。
マッキンリーは、ニューヨーク州バッファローで開催された汎アメリカ博覧会会場で無政府主義者レオン・F・チェルゴーズによって1901年9月6日に銃撃され、9月14日に傷が元で死去した。彼は暗殺された四人のアメリカ大統領のうちの一人。
マッキンリーの肖像は1928年から1946年まで500ドル紙幣に使用された。
アラスカ州にある北米大陸の最高峰マッキンリー山は彼にちなんで命名された。
 大統領像を現代に近い形にした最初の近代的大統領。平和的解決を計ったが、世論の影響で米西戦争を起こした。