第2代アメリカ合衆国大統領



ジョン・アダムズ
John Adams 連邦党
就任期間  1797年3月4日〜1801年3月3日

生没 1735年10月30日〜1826年7月4日(90歳)

初代副大統領。彼の息子ジョン・クィンシー・アダムズは第6代アメリカ合衆国大統
アダムズは現在のマサチューセッツ州クインシーで1735年10月30日に生まれた。農夫である彼の父親ジョンは、1636年にイギリスのデボンからマサチューセッツに移住したヘンリー・アダムズの四世代目の子孫であった。母親はスザンナ・ボイルストン・アダムズであった。
アダムズは1755年にハーバード大学を卒業し、ウスターで教師の職を務めながら、ルーファス・パットナムの法律事務所で法律を学んだ。1758年に法曹界入りする。彼は幼少時から出来事の感想や人の印象を書き留める習慣を持っていた。彼の書き留めたレポートの中で最も初期のものは、マサチューセッツ最高裁判所におけるジェームズ・オーティスの家宅捜索令状の合憲性に関する申し立てのものである。1761年に起きたこの出来事は、アダムズにアメリカの植民地に対する熱意を引き起こさせた。アダムズは年老いた後、この出来事を詳細に書き上げようと試みた。
 1774年の第1回大陸会議にマサチューセッツ代表として参加した。年独立宣言起草委員会の5人のうちの1人に選ばれ、調停役を務める。1796年の大統領選挙で第一位になり大統領に選出された。